Idiot's Delight

煩悩まみれで気軽に日々を過ごしております

アニメ 今期見たやつのざらっと感想

「オタク」の認知が上がると「チー牛」みたいなより救いのない蔑称が生み出されるのは、世の地獄の多層性がうまく表れている一例だと思います。

 

今回は今期アニメ(見たもののみ)の感想です。

三期目。京アニクオリティは健在。しかし3期目ともなるとどのように変化させるのか? ラストの常套句の言い方が毎回心情籠ったものになっており、それは今までにない言い方なので、ドラマを変えてくるのではないかと期待してます。(ライバル予想は大外れでしたけど)

こっちも三期目。前から思っていたのですがお話のテンポが遅い。なぜにこんなに遅いのかと思っていたのですが、「他キャラを立たせるため」なのでしょうね。様々なキャラが入り混じる面白さは生まれているものの、やっぱりリムルのストーリーをもっと早く見せてくれと思ってしまいます。今期はどこまで成り上がるのか?

また三期目。アニメ制作会社が変更されていますが監督は継続。会社の名称変更なのか、関連会社なのか? コメディなので楽しければよしだと思います。

「2」の第二クールに当たる四期目。ナンバリング+分割クール制なので何期目と言えばよいのか混乱します。こちらも監督変更していますね。クオリティは第13話を見る限りですと「1」レベル出ないもののすごく落ちているということもなくという印象です。作品自体は好きなので「とにかく頑張れ!」と応援しています。(そして出来れば「1」レベルのクオリティでお願いします)

 

以上です。

 

しかし「チー牛」と言われても否定や擁護しにくいのは言われる人はキツイだろうなと思います。「オタク」の場合は「オタクじゃない」という否定は「オタク的コンテンツを利用していない」という点で回避可能でした。また「オタクで何が悪い」と開き直って擁護することも可能でした。

しかし「チー牛」ですと、「チー牛じゃない」と言ったところで、「チー牛」の定義が「周囲からキモいと思われているやつ」くらいしかないので否定しようがなく、また「チー牛で何が悪い」と開き直って擁護することもできないと考えます。そうなると集団からの阻害を受け入れるしかなくまたその受け入れた先には「オタク」のような同好の士もいるわけではないことを考えると言われるほうこ地獄度は増しているようにも思います。

 

ではまた次回。

読書『スラップスティック』感想 愛のルネッサンス

串カツが好きです。近くのお店でたまに売り出される「衣がガジガジ」のタイプが好物。特に「ししとう」や「玉ねぎ」がおいしい。油もさっぱり目なのでガジガジとした衣と一緒に野菜を食べるのが美味しくて好きでした。

 

今回はカート・ヴォネガットさんの『スラップスティック』感想を書いていこうと思います。

 

※以降ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

本作の特徴的なアイデア「人工拡大家族」でしょう。主人公のスウェイン医師は緑死病で人口減を招く世界でアメリカ合衆国大統領に就任します。そして彼が行った施策が「全ての人にランダムにミドルネームをつけて同じミドルネームを持つものを“家族”にすること」でした。ミドルネームは「動植物名や鉱物など-数字」という形式でそこに意味はない前提です。主人公のミドルネームは「ダフォディル-11」。ダフォディルは「黄水仙」の意味で、花言葉「自己愛」です。彼の妻はたいそうな名家の出だったのですが「ピーナッツ-5」というミドルネームをつけられて憤慨します。主人公も思わず笑ってしまいます。

 

前回の記事では「感想」として端的に「愛の否定」と書きましたが、より正確に表現するなら「愛のルネッサンス(復興)」でしょう。カート・ヴォネガットさんの作品には「個人で抗うことができない大きな時代の流れにどのように対面するか?」というテーマがあるように見えます。それはカート・ヴォネガットさん自身の戦争体験に起因するものでしょう。(このあたりは「スローターハウス5」に詳しく)

本作『スラップスティック』では戦争などに起因する国家という大規模な集団に漂う希薄な「愛」というものを否定しているように感じます。

主人公「ウィルバー」には「イライザ」という双子の姉がいます。二人にはテレパシー能力みたいなものがあり、二人が額を合わせると知能が劇的に上がります。二人は額を合わせたときの二人こそが本当の自分たちで、額を離した時の自分たちは本当の自分ではない別の人間だと、額を離した時の二人に別の名前をつけるほどでした。(「ウィルバー」は「ボビー・ブラウン」、「イライザ」は「ベティ・ブラウン」)

主人公と「イライザ」が離れる時、主人公に「愛している」と言われたイライザは以下のセリフを発します。

「それは人に、たぶん本心ではないことをいわせる仕掛けなんだわ。だって、そういわれたらわたしにしろ、だれにしろ、”わたしも愛してる”という以外に、そんな返事ができて?」

(中略:イライザに「僕を愛していないのか?」と尋ねるウィルバー)

「だれがボビー・ブラウンを愛せると思うの?」

別れを惜しむ主人公同様に「イライザ」も別れを惜しんでいます。しかし「愛している」という言葉は否定します。これは言葉という距離のある希薄な「愛」ではなく、身体接触を伴う近距離での密接な「愛」の希求を表していると思います。

 

また主人公が大統領に就任しミドルネームの付与が終わった頃、ある町で行われた「十三番クラブ」という会合に参加しようと試みます。この会合はミドルネーム末尾が「13」のメンバーのための会合です。大統領である主人公はその会合に入れてもらえないかと受付に確認するとひどく猥雑な罵倒を受けます。その罵倒を受けて主人公は「恍惚」の表情を浮かべます。これも「国家単位での希薄な愛」が否定された瞬間を表し、それを理解したため「恍惚」の表情を浮かべていたものと思われます。つまり人口拡大家族という施策は国民の友和を強化するという目的ではなく、国家の解体(より小規模なコミュニティへの返還)が目的であったのでしょう。

 

このように本作の主題は「愛の否定(国家規模での希薄な愛情関係の否定)」と「愛のルネッサンス(家族のような小規模での密接な愛情関係への復興)」だと感じました。このように考えるとラストに主人公の孫が「人工拡大家族」の手を借りながら本当の家族の元へと辿り着く道程は感動的です。そのような感動をタイトル「スラップスティック」(ドタバタ喜劇)にあるようにユーモラスな文体で語られる物語には、何かひどく諦念を含んだペーソスも含まれていると感じました。

 

以上、感想でした。

 

福満しげゆきさんの漫画をずっと読んでいます。また「ソンビ取りガール」みたいなのも読みたいです。

また次回。

日記 ゲームやらなんやら

アボカドディップが食べたい。アメリカの映画で外人さんがテレビとか観ながらコーンチップスにつけて食べてるアレですね。

作るの自体は結構簡単なんです。アボガド、ライム、にんにく、オリーブオイルを買ってきてフォークで潰したら出来上がり。でも馴染みのない食材を買い揃えるのが億劫で。いっそ既製品でも売ってないかなとたまに探すのですが、保存するには油分が必要なようでこれ!というのに出会えていません。というわけでゆらゆらと思い続けるわけです。アボカドディップが食べたいなあ、と。

 

閑話休題

 

今回は最近やってるゲームとかのお話です。

 

永遠と『Fallout76』やってます。

なぜか居心地のよいアパラチア。荒廃して終わっちゃってる世界なんですが、この居心地の良さはどこから来るのか? 今日も今日とてゴミ漁ったり、でっかい虫倒したりしてます。好き。

 

『サガ エメラルド ビヨンド』体験版をプレイしてみました。

「バトルは楽しいけどUIがダサい」という印象。UIなどの特殊なセンス(機能性と美術性の融合)が問われる箇所を大規模制作でこなすのは難しそうだなあと感じます。

 

松本次郎さんの『beautiful place』読みはじめました。

松本次郎さんの「グロテスクとサイケデリックの合間に咲く花」という作風が好みです。好きなセリフは「銃なんかしまえ お前たちも手伝うんだよ」。痺れます。

 

『Fallout4』次世代機アップデートが楽しみです。

4/25。DLCには手を付けていないのでこの機にやってしまおうかなと考えています。アパラチアとボストンを往復する日々が始まりそうです。

 

スラップスティックが読み終わりそう!

カート・ヴォネガット節を堪能させていただいてます。この作品は「愛の否定」だと思います。それを感傷的に流されずに書いているのが魅力的。やはり大統領に猥雑な罵倒をしても正当化されるのは、ある種の理想郷であるのでしょうね。『Fallout76』と同じような居心地の良さを感じます。LONESOME NO MORE!

 

今回は以上。

ノンアル勢からすると成城石井は「おしゃれなおつまみ屋さん」という印象があるのですが、たまに買いたくなります。「モッツァレラチーズと鶏肉のシュウマイ」とか美味しそうじゃないですか。これは何心なんでしょうね?

マンガ 新刊感想まとめ

最近買ったマンガ新刊感想まとめです。

 

※それぞれネタバレ含みますのでご注意ください。

「勇者が魔王を討伐した後の世界観」の本作で「盛り上げどころ」に四苦八苦している印象を受けます。既存作品のように「強敵」と「世界観」とコンフリクトを起こしてしまうのが原因ではないかと推察しています。「異世界転生」もので「俺最強系」で「強敵が障害」として作動しにくいと同じ理屈ですね。「最強系」の他作品(「ワンパンマン」や「転スラ」)などは「主人公以外のキャラクターを立てる」という手法で乗り越えていますが、本作は「フリーレンのドラマ」が主軸になっているので、この手法も使いづらいところがあります。どのような手法でこの問題に立ち向かうのか今後に期待です。

「ゲーマー」あるあるの「四天王とか出されるとダレる」という問題を、これまたゲーマーあるある「一旦別ゲーに乗り換える」でクリアしたように感じます。原作は未読ですが、今後「シャンフロ」でどのように盛り上げるかに期待します。

前作「かぐや様」でも見られましたがどんどんシリアスになってきたターンでした。映画の撮影シーンで回想シーンを重ねている構成は面白いものの、漫画で演技を表現するのは難しいと感じました。

石田スイさんの魅力は「異能バトルをカッコよく描く」ところだと思います。バンドで言えば「ビジュアル系」みたいな良さでしょうか。「東京グール」の時はそこに吹っ切っていたように思われるのですが、本作は前作に比べてその「吹っ切った感じ」は薄く感じられます。例えるならビジュアル系バンドの人が時折やる「ワイシャツ着てアコースティックギターの曲やる」みたいな感じでしょうか。もっとビジュアル系に吹っ切ってほしいなあと思います。

ジョジョの魅力は「突飛な格好がかっこよく見える」レベルの絵の魅力だと思います。それが弱くかんじました。絵は変わり続けているので、またいい感じの絵になれば良いなと思います。

 

今回の新刊は全体的に「承」だと思いました。続きが気になります。


以上、また次回。

日記 ゼロがたくさん!

休日の日記です!

モーニング

念願「Slo」さんのパン!買った後鴨川沿いで食べました。ハード系が歯応え容赦なしで旨し。

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tabelog.com

「To」さんでイタリアンモーニング 新玉ねぎのスープが濃厚で旨し。オムレツの春菊もホロ苦で旨し。

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tabelog.com

お出かけ

晴れるとやっぱり鴨川沿いが気持ちいい。

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京都府立図書館にも久々足を運びました。

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高島屋7階グランドホール「高島屋資料館×高島屋美術部 アートのチカラ2024」に行ってきました。

www.takashimaya.co.jp

拝覧は無料。即売会も兼ねていてお値段は「ゼロがいっぱい!」。こういうのってどうやって値段決まるんでしょうね?(画商みたいな人が決めるのかしらん?)綺麗な絵が多く見るだけしかできないけれど、楽しかったです。

 

趣味

あいかわらず『Fallout76』に夢中。

メインクエストは一通りクリアしたので、そろそろ一区切り。次はサガ新作でも手をつけようかしらん?(よいタイミング)

 

響け!ユーフォニアム3』予想大外れ。ナハハハハ。

どうなるんでしょうね? 楽しみです。

 

映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』視聴。廃墟に囲まれた近未来は厨二心をくすぐります。

普通に「グロい」ので苦手な方は要注意。

 

以上、ではまた次回。

ゲーム『Fallout 76』C.A.M.Pに熱中

C.A.M.Pいじってたら一日終わった感。(嗚呼なんと罪のない休日!)

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Fallout 76』まだハマってます。解釈者クラレンスに会えないのがちと寂しい。(吸い込みなさい、子供たちよ、吸い込みなさい)

家具収集が追いついていないのである分並べるだけのC.A.M.Pですが、それでも十分楽しいです。現在のお気に入りは「賢きモスマン玉座」。

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偉そうに座るのが良き。(モーション変えてるあたりの芸の細かさ)

 

以上、また次回。

雑記 仕事の「真面目さ」や「やりがい」は無理ゲー

今日もお仕事です。

仕事場で新人教育をしています。

さて今回は新人教育もしていることですので、「仕事の価値」について考えてみようと思います。

 

新年度につき新社会人が流入する季節となりました。何やら「退職代行」が話題になっているそうな。私は見たテレビの情報番組でも取り上げられてました。その番組の出演者の意見を掻い摘んで並べると以下のようなものになります。

司会(キャスター)「人それぞれ、時代ですかねぇ…」

コメンテーターA「けしからんですよ!採用にそれだけ手間暇コストが掛かっていると思っているんだ!それでも止めるというならせめて自分で持ってこい!」

コメンテーターB「コストとか知らんやんけ。いようが止めようがこっち(退職者)の勝手やろがい!」

興味深いのは「司会(キャスター)」の態度です。「コメンテーターA」や「コメンテーターB」の発言は「番組を盛り上げるために極端な意見」になっていると思います。しかし「司会」の中立を保とうとする態度には「本音ではコメンテーターAに賛同したいが、表立って発言することは憚れる」という心情が見て取れます。ひと昔前なら、「仕事を即退社する新入社員」は糾弾されるべき対象と認知されていたように思われますが、現状では「表立って糾弾することが出来ない」対象に変化しているようです。この変化は何を表しているのでしょうか?(コンプライアンスや炎上防止などと考えられますが、であればなぜ「けしからん」は炎上してしまうのか?)

私が考えるにこの変化は「仕事の価値が相対的の低下している」ことを示しているのではないでしょうか。

例えば報酬の話。一億総中流と呼ばれる時代において「一世帯で一人」が働けば、「子供を養えて家や車まで買える」が普通だった時代がありました。しかし現在では「一億総活躍」と呼ばれる時代になり「一世帯で労働年齢に達している人員全て」が労働に従事しないと家計を支えるのが困難な時代となっています。ここに報酬面での仕事価値の相対的低下が見られます。(給料の金額は上がっている、そのままかもしれませんが、その給料で代替可能な事物が減少している)

また「成果主義の導入」。これらの導入により「成果を出す」ことに注力し生産性など向上しているかもしれません。しかしその分「真面目に働く」ということの価値は低下していると思います。(「真面目」だけじゃ意味がない)

これらの点に見られるように「普通の人が真面目に働く」が価値を持たなくなってきているのだと思います。(「成果を出せる人」の仕事の価値は向上・維持する)このような変化があるため、全員一括りにして「けしからん!」などと仕事価値を均一に敷衍させる観念や言動は「無理」があるのでしょう。(なので司会は表立って言えない)

という時代の変化がありテレビ番組の司会も「なんとなく気付いている」状態ではあるものの、実際の仕事現場では「真面目に働くべき」「仕事にやりがいを求めるべき」という観念での運用が保守されています。これらの観念が形成された時代から、背景の変化が著しく「真面目に働く」「やりがいをもつ」が困難になっていますが、企業制度がその変化に追いついていない(成果主義で成り上がることができた人=観念を変える必要がない人が意思決定権を有しているため、そもそも制度疲労に気づいていない)ために、そのコンフリクトが「退職代行」のような事象に現れているように感じられました。「真面目さ」や「やりがい」を求めて「成長目標」などを設定するように求めるような行為もそれに当たると思います。

ではどうすれば良いのか?

「宗教」的な解決方法が一番手っ取り早く感じます。しかし「宗教の力が(ニーチェ以降)落ち込んでいる」ことと「単一の教義への信仰を求める行為」が現在の社会で主流になりつつある「新自由主義」(リベラル)と相性が良くないために、「普及する推進力」を得られないでしょう。

「真面目さ」や「生きがい」を「長期的なサイクルではなく短期的なサイクルに落とし込んで運用すること」(UberEatsの配達員のように)は可能性を感じさせますが、既存企業形態に反映させるには(いろいろな意味合いにおいて)時間がかかりそうです。

「真面目さ」「生きがい」という概念を排除して仕事の価値運用ができないものかとも考えますが、(すでに時代遅れの我が身からは)現実での運用可能レベル(新入社員に教えられるレベル)のアイデアはなく、現実への追従を常識とすることでしか落とし所が見当たりません。(個人レベルでは違いますが)せめて(自覚的にしろ無自覚的にしろ)苦痛に共感することは、これからの「新人教育」の教育者は外すべきではないと思いながら、指導しています。

 

今回はここまで。

こんなこと考えながら内心「グギギ」で指導してます。

それではまた次回。