Idiot's Delight

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マンガ『ダイヤモンドの功罪』栄光あるディスコミュスパイラル

今日も休日です。

今回はマンガ『ダイヤモンドの功罪』(平井大橋さん著)について書いていきたいと思います。

 

※ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

球漫画は数あれど、なかなか斬新な切り口のマンガで面白いと感じました。

 

この主人公のマンガの綾瀬川はスポーツ全般における超天才の小学五年生。なんでもかんでもすぐに上手くなってしまう。それこそ体験教室なんかに参加しちゃうと、その教室のトップレベルの選手を、初日で凌駕してしまうほど。

しかし綾瀬川には才能と能力はあるのですが、それに見合った目的意識はありません。「スポーツを楽しめればいいなぁ」くらいの気分で、圧倒的な成績を残してしまうものですから、どうしても周囲と上手くなじめない。「お前さえいなければ」と疎外されてしまいます。

そんな彼が出会ったのが団体競技である「野球」。しかも地域の人数も揃っていないようなチームに入ります。

そこでも綾瀬川は初日からすごいピッチングを披露してしまう(キャッチャーが捕れないほどの球を投げてしまいます)のですが、周りは「すごい! すごい!」と綾瀬川を疎外することなく受け入れてくれます。ああここならやっていけそうだ、野球を好きになれそうだ、と綾瀬川も安堵します。

しかし綾瀬川の思惑とは別に、才能と能力に相応しいステージへと押し上げていく圧力が働き、弱小チームからU-12日本代表チームへ。そこでも綾瀬川の規格外の才能は受け入れられずさまざまな葛藤を巻き起こします。

 

というのがこのマンガのあらすじです。

このマンガの面白いと感じたところは「成功につきまとうディスコミニュケーション(チーム内の不和)とその利用方法」です。

 

既存の作品であれば「チーム内の不和」を出す場合、何かしらの「失敗や問題の結果」として描かれていたように思います。わかりやすい例としては以下のようなものです。

 

(1)「失敗」→「チーム内の不和」の例 ※野球マンガの場合

失敗:キャッチャーフライを凡ミスでこぼして甲子園にいけなかった

チーム内の不和:凡ミスをしてしまった選手は自分の失敗を認められない。そして周囲はその選手を許すことができないという不和が発生する

 

このような構造の場合、「チーム内の不和」を解消することで「失敗」を乗り越えることができ、キャラクターの「成長」を演出することができるように思われます。

 

しかし本作ではこの構造をいわば逆手にとった構造になっているように思います。つまり「チーム内不和」は「失敗」からではなく「成功」の結果として表現されているということです。ここが斬新だなあと感じます。

 

本作では前述の通り、主人公の綾瀬川は規格外の能力と才能、それに見合わない目的意識を有しています。そしてその能力・才能は物語で段階ごとに用意される課題を、軽く凌駕するレベルです。

弱小チームに体験するときの初投ではチームの監督が驚愕するほど、U-12日本代表チームの選出試験では、代表チームの監督が驚愕するほど、U-12日本代表チームの練習試合で中学生の全国制覇チームにあたる時は、初めての試合登板で中学生相手にほぼ完全試合をおこなってしまうほど。

このように物語の進行に応じて主人公への課題はどんどん難しくなっていくのですが、主人公は基本的に「100点満点中の120点」の「成功」を叩き出し続けます。これに対して周囲の選手が「引いてしまう」ことで「チーム内の不和」が発生してしまうのです。前述の(1)の例のように中学生相手の練習試合のエピソードを例に記載すると以下のような形になります。

 

(2)「成功」→「チーム内の不和」の例※「ダイヤモンドの功罪」の場合

成功:全国制覇した中学生チームをほぼ完全試合で押さえ込んだ

チーム内不和:ピッチングが凄すぎる。打手がついていけず結局引き分け。ほとんどあいつ一人の成果じゃないか。

※注 ここで単純に「綾瀬川をいじめる」という様式に陥ってしまうと安っぽくなるのですが、今作の不和はそのような形ではなく、(前述の通り)綾瀬川は「一緒に楽しみたい」というのが目的意識、周りの選手は「綾瀬川に頼り切っているのが不甲斐ない」から引け目を感じる(一緒に楽しめない)という齟齬により不和が発生しており、綾瀬川にも周囲にも感情移入できる形で表現されております。

 

このように本作では「成功」→「チーム内の不和」が発生する形に落とし込んでいます。そうすることで「無双状態の天才を無双状態のまま飽くことなく表現できる」形になっているのではないでしょうか。

 

「無双」状態は現代的ではあるものの「成功」→「成功」→「成功」→、、、と続くと物語が単調になってしまい飽きが出てしまう恐れがあります。またインフレが激しくリアリティをなくしてしまうリスクがあります。(100キロ投げた!→120キロ投げた!→150キロ投げた!→200キロ投げた!みたいな感じですね。これに対して既存の作品では主人公に困難を与えることによって回避しようとしていたと思います。肘の故障など。しかし困難に立ち向かう努力はあまり読者ウケがよくないという問題も孕んでいます)

 

本作はこの二つのリスク(単調さによる飽きリスク、現実性の喪失リスク)を避けるために、「チーム内不和」を利用している形になっているのではないでしょうか。

 

本作の主人公の綾瀬川の能力は、もちろん野球の試合として表現されます。ただそこでの能力発露は「無双状態」なので、ある種の予定調和として流れていきます。しかしその能力を見て周囲の選手がその凄さに「引いてしまう」。そこから発生させる「チーム内の不和」をバリエーション豊かに表現することによって、単調なインフレに流されず、またリアリティを損なうこともなく物語として成立させていると思います。

(「成功」→「成功」→「成功」→、、、ではなく、「成功」→「チーム内不和」→「成功」→「チーム内不和」→、、、。しかも(1)のように「失敗」からではなく「成功」から「チーム内不和」につなげている点がコロンブスの卵的です)

 

この形が象徴的に出ているのが「U-12日本代表選出の世界戦」です。ここでは試合そのものより、その後の「いかに綾瀬川がすごく、周りが引いてしまうのか」の方により多くのページ数を割くことによって、綾瀬川の能力がいかにすごいものなのかを演出しています。

 

球漫画ではないのですが、ボクシング漫画に『SUGAR』(新井英樹さん、著)という作品があります。この作品の中でボクシング雑誌の記者が以下のようなセリフを話します。

ボクシングの・・・・本質的魅力とは

英雄・・・・待望であり

天才願望に・・・・ある!!

(『SUGAR』第27発「指の名前を言ってみろ」)

これは記者が指摘するボクシングに限らず、スポーツ全般にいうことができる魅力ではないでしょうか。

 

この「天才願望」に対して、『ダイヤモンドの功罪』は今までの作品に見られなかった手法(「チーム内不和」)を用いて「無双状態」の天才を飽くことなく表現しているという点で、現代の気風にも合致した斬新な作品だと思う次第でございます。

 

私は単行本で読んでいるのですが、主人公はまだU-12。これからどのような不和を巻き起こし、ぞくりとする天才性を発揮してくれるのか、楽しみです。

 

それではまた次回