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マンガ『攻殻機動隊』感想 SUPER SPARTAN (13) 16〜18ページ

Fallout4次世代機対応アップデートが美しい。副次的ですが「Fallout 76」もキレイに感じるようになりました。リリース当初はそれほど違いがないとも感じましたが、並行プレイで比較すると随分と違うものですね。

 

今回はマンガ『攻殻機動隊』2話 SUPER SPARTANの感想の続きです。

前回はこちら。

 

akutade-29.hatenablog.com

 

※以降ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

今回は16ページから18ページまで一挙に。ここは「物語進行のために犠牲になったトグサくん」が見どころだと思います。

 

16ページ

フチコマで施設に侵入するトグサとイシカワ。その中で不安を漏らすトグサ

トグサ 「俺ぁどうも落ち着かねえ」

17ページ

見張りに「もの忘れ」を仕込むイシカワ。

18ページ

少年に子グモ(通信傍受機器)を仕込むトグサ。

 

16ページから18ページは上記のような流れで進みます。まず注目すべきは17ページ(イシカワ)と18ページ(トグサ)の動作音を示す擬音のサイズ感でしょう。イシカワ(ベテラン)の動作音は非常に細い線でごく小さな文字(ピュ、チキなど)書かれています。このことよりイシカワの動作は隠密捜査にふさわしい「ごく静かな行動」であることを示しています。一方トグサ(新米)の動作音は太く大きな文字(ガランガランガランガラン)で書かれています。これをイシカワの擬音と比較すると、イシカワほどに動作の精度が高くない「未熟な新米」としてのトグサが表現されているように思われます。

ではなぜ「トグサを新米として描く必要」があったのでしょうか? 私が考えるに物語構造上に重要な二点の意味が込められていると思います。

まず一点目は「物語のテンポを速くするため」でしょう。新米のトグサはこの後「あるミス」をしてしまいます。仮に「トグサがミスしない」とした場合、少佐たちが乗り込んで戦闘行動を取るには「洗脳装置の有無」を確認するための捜査を描く必要があります。その場合本件の落着までさらにページ数を要したでしょう。そしてその場合(本件の主題は「洗脳装置」ではないため)冗長なストーリーテリングになっていたものと推察されます。

そして二点目は「スパルタ」を少佐たちの部隊にも内包するためだったのではないかと思われます。これまでも書いてきた通り少佐は施設の被虐に対して否定していません。ただこれだけでは「外野には厳しい」と受け取られる可能性があります。しかしトグサがミスをし、そのミスに厳しく処分を下す(2話終盤でトグサはミスにより平に降格されています)ことで、少佐のスパルタを外向的なものとしてだけではなく、内向的なものとしても表現し少佐の一貫性(内外関係なくスパルタである)ことが強調されていると思います。

以上二点が「トグサ(新米)」の設定事由と思われます。そしてこの「新米のミス」についても設定に矛盾しないように上手く表現されていると思います。通常「新米のミス」を表現する場合、「誰でも見てわかるレベルの凡ミス」として表現してしまうことが多いように思います。しかし少佐たちの部隊は内務大臣直下の部隊であり、いわばエリート部隊です。その部隊に参加できる時点で「新米といえど高水準の能力を有している」ことが前提になると思います。「甲子園常連校のスタメンは1年でも野球が上手い」みたいな感じでしょうか。そのような部隊において「誰が見てもミスとわかるミス」を描いてしまうと「少佐たちの部隊」の品格が暗に失墜する(世界観のバランスが取れない)ことに繋がりかねません。(前述の例で言えば甲子園常連校の新米が単純なキャッチャーフライを掴み損ねるみたいな凡ミスをしてしまうと「甲子園常連校」のリアリティが損なわれるみたいな意味合いです)本作ではそこを「擬音の文字」などで実力差を表現し、ミスに関しても「一見しても気付きにくく」演出することで、少佐たちの部隊の品格を落とすことなく(世界観のバランスを保ちつつ)、物語のテンポアップと少佐の一貫性の獲得をするというアクロバティックな構造を果たしていると感じました。

 

ではトグサはどのようなミスを行ったのか?(私も初見では気付きませんでした) それは次ページ以降で明かされます。

 

以上、ではまた次回。