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マンガ『攻殻機動隊』感想 SUPER SPARTAN (9) 12ページ

今日もお仕事です。

日差しが明るく風が冷たいくらいが好きです。

さて今回はマンガ『攻殻機動隊』感想の続きを書いていこうと思います。

前回はこちら。

akutade-29.hatenablog.com

 

※以降ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

今回は12ページから。公安と少佐たちのブリーフィングが続いています。このブリーフィングは「情報戦」の様相もあり、少佐たちの公安に対する倫理的、能力的蔑視が込められていることは、ここまで書いてきた通りです。その「情報戦」に決着がつくのが12ページです。

 

12ページ

1コマ目 施設で檄を飛ばす院長

院長 「働くのが嫌なら学習コースに行け 両方嫌なら市民カードは申請してやらん!」

院長 「野たれ死にしたいか!?」

2コマ目 学習コースの噂を述べる少年たち

少年A 「学習コースかあ」

少年B 「ここよりひどくて「正体が抜けちまう」って話だぜ」

3コマ目 悲嘆に暮れる少年 片目から涙を流す

少年 「ああ 何のために生まれてきたんだろう そんなのガマンできないよなあ」

 

1コマ目 この院長のセリフからわかることが4点あります。

  • 労働以外にも「学習コース」が存在する
  • 「学習」は労働より下位の概念として扱われている
  • 少年たちは「市民」として承認されていない
  • 「市民」でなければ生命の保証はない

労働および学習過程を修了しない限り、「市民権」を得られないのは「スパルタ」チックですね。(フィリップ・K・ディックさんの短編「まだ人間じゃない」も彷彿とさせます)ここから鑑みれることは本作の世界は現実より「人権」の運用が限定的であることでしょう。現実では「基本的人権」という言葉からも見られる通り、「生存」に対して付帯条件なく「人権」が付与されます。(建前上)しかし本作は「現実には起きなかった戦争」が起きた世界を描いており、現実のような「人権」の運用が困難になったと思われます。よって「国家に奉仕出来る」という付帯条件がついた上で「人権」が承認される構造に変遷しているのでしょう。(そのため前11ページのセリフでも出てきた「人権擁護局」という存在が必要になるのでしょう。この団体が示すことは「人権が擁護されない可能性を有する社会構造になっている」ということだと思います)

では本作ではそのような社会を否定しているのでしょうか? それは前11ページの少佐の反応と3コマ目を見れば察することが出来ると思います。前11ページでの少佐は「共感」は示すが介入しようとは思いません。また3コマ目の少年の描き方は、「涙」は描いているものの、それはマンガ記号としての涙であり、少年たちの苦難をカリカチュアとして描いています。このように本作は「施設の少年たち」の処遇を「悪だ」と否定しきっていません。一見すると2話は「かわいそうな子供たちを救うためにヒーロー(少佐)が介入する」というお話に見えるのですが、このページでも見られる通り2話はそこを問題として取り扱っていないことがこの12ページ(と11ページ)で提示されていると思われます。

 

4コマ目 学習コースの映像を求める少佐とないと告げる公安職員

少佐 「学習コースの映像は?」

職員 「ないんです」

5コマ目 大袈裟に驚く少佐

少佐 「ない!?」

6コマ目 モニター向こうの荒川を皮肉る少佐

少佐 「聞いたか部長!」

少佐 「いい部下をたくさん持ったな!」

7コマ目 少佐をなだめる荒川 その背後で忙しなく働く公安職員

荒川 「なあ 少佐」

荒川 「いつまでも突っ張っとらんで公安部(うち)に来んか?」

8コマ目 アッカンベーと返す少佐

9コマ目 フチコマより入電

フチコマ 「少佐 ライン4に学習コースの映像入ります」

 

ここが公安vs少佐たちの決着(第一ラウンド)シーンです。いままでも書いてきた通り、ここまでの一連のシーンは単なるブリーフィングだけではなく、公安vs少佐たちの情報戦の様相も含まれています。

5コマ目で少佐が大袈裟に驚いているのは相手を揶揄する意図も含まれていますが、少佐は「学習コース」の映像がないことを把握していたからこそでしょう。ブリーフィングの裏で少佐たちは独自で捜査を行っており、この施設の防御レベルも把握していたため「公安には突破できない」と結論付けていたと思われます。

これが当て推量でないことは、続く9コマ目を見ればわかると思います。少佐たちのフチコマが「学習コース」の映像を繋いでいるシーンです。なぜここにフチコマがいるのかと言えば、8ページ目で少佐がフチコマに命令を出していたからです。(8ページの解説は以下の記事参照)

akutade-29.hatenablog.com

8ページの時点で「少佐は「公安には無理だ」と判断しフチコマに「学習コース」の映像を見れるように指示を出していた」というのが、(セリフには書かれていませんが)この一連のシーンの解釈だと思います。よって5コマ目は相手を揶揄する意図と共に「想定通り公安を出し抜いた」という喜びも含まれているため、このような演技になっているのでしょう。

ここまでの解釈ですと「やったね少佐、大勝利!」みたいに見えるのですが、続く7コマ目8コマ目がこの後の公安(荒川)vs少佐たちの「第2ラウンド」の結末を暗示させる構造になっています。少佐たちに出し抜かれたということは、公安のトップである「荒川」は「顔に泥を塗られた」形になっています。しかし荒川は冷静に少佐たちを公安に勧誘するという「大人の対応」を見せます。(この時、モニターに映る「荒川」の背後には忙しなく動く職員の姿が写っており、「荒川」に余裕がないこともしっかり表現しています)そんな荒川に対して少佐は「あっかんべー」と幼稚な仕草で返します。つまりここで「大人」な荒川と「子供」な少佐という対比構造が生まれており、それは2話ラスト(公安vs少佐たち)の伏線になっています。(また論理的だが幼児性もあるという二面性を表現することで「少佐」のキャラクターが立っているシーンとも言えるでしょう)

 

以上、12ページで語られていることをかいつまんで簡単にまとめると

  • 施設の子供たちは「かわいそう」だけど、それだけじゃ少佐たちは動かないよ!(そこは今回の“問題”じゃないよ)
  • 公安vs少佐たちはひとまず少佐が一本取ったね! でも荒川の大人の態度は少佐より「上手(うわて)」に見えるね!

ということになると思います。

 

では何が問題(少佐たちの正義に反する)なのか、そして公安vs少佐たち第2ラウンドの行方は、以降のページで明かされます。

 

今回はここまで。

最近、豚トロにハマってます。

それではまた次回。