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マンガ『攻殻機動隊』感想 SUPER SPARTAN (12) 15ページ

不定休のお店に行ったら「休み」のことが多いです。月二回くらいの休みにぶち当たります。事前確認をしっかりしていけばいいんでしょうが。めんどうで、、、。

さて今回は『攻殻機動隊』2話SUPER SPARTNAの感想の続きを書いていこうと思います。

前回はこちら。

akutade-29.hatenablog.com

 

※以降、ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

今回は15ページから。

15ページ

1コマ目 トグサとイシカワに指示を出すバトー

バトー 「トグサ イシカワ 脱走小僧に子グモを仕込め」

2コマ目 驚きの表情を浮かべる少佐

3コマ目 嬉しそうなバトーと冷静な少佐(上向く公安職員)

バトー 「最悪の事態が生じた時 これで言い訳できる 合理的だろ?」

少佐 「責任とってお前は引退 部隊は存続か?」

4コマ目 儚げな少佐

少佐 「そう甘くはないさ 心づかいには感謝するが ね」

5〜7コマ目 フチコマによる突入シーン

 

このページからしばらく「バトー」をはじめとする「部下」たちの紹介シーンが続きます。(14ページのラストに引き続き)15ページは「バトー」から。

1コマ目 バトーは少佐を押し除けるようにしてマイクを奪い、トグサとイシカワに指示を出します。そして驚くの表情を浮かべる少佐をよそに3コマ目で「合理的だろ?」と述べます。流してしまいそうになりますが、ここのバトーのセリフにある「合理的」とは、何をもって「合理的」なのでしょうか?それを理解するためにまず状況を整理してみましょう。15ページ目のバトーの「合理的」にかかる状況は以下の通りだと思います。

■15ページの状況

  1. 福祉施設に「洗脳装置」が存在する疑いがあるため捜査の途中である。
  2. 施設映像を確認する限り「洗脳装置」の存在する可能性は濃厚である。
  3. 少年の脱走に伴い非常ベルが鳴り響き施設は警戒体制に入っている。
  4. 脱走少年は施設の管理下を一時的に外れているため、盗聴機器(子グモ)を設置するチャンスである。
  5. 「洗脳装置がある」は公安のガセネタ(罠)で突入には組織解体のリスクが伴う。

15ページの少佐たちは上記のような状況下にあります。(1)(2)の状況があるために追加捜査が必要です。そして(4)の状況は人員投入を伴いますが、追加捜査(盗聴機器の設置)する絶好のチャンスです。しかし(5)の状況により追加捜査には組織解体のリスクが伴います。(8ページ目5コマ目参照)さらに(3)の状況により施設は警戒体制にあるため、よりリスクは強まっている。このような状況です。つまり捜査したいけど、捜査すると組織解体するリスクがある。といういかんともしがたい状況に少佐たちは置かれています。

ここで少佐たちが取りえる選択肢は大きく二つで「捜査する」もしくは「捜査しない」のどちらかです。ここで「どっちにするか悩む」という演出を入れてもいいですが、そうすると少佐(ヒーロー)の保身につながります。また全く悩まず「捜査する」を選択するのもリスクを顧みない短絡性の象徴につながります。(本ブログでは幾度となく書いておりますが、少佐たちは「ならず者たち」ではありません)

しかし本作では「バトー」にその判断(指示)をさせて「合理的だろ?」というセリフを言う形でこの二つの選択を行なっています。ここから読み取れるのは二者(少佐とバトー)の間に暗黙ながらも共通認識が生まれていることです。それは「捜査するに決まっている」ということでしょう。そしてその判断をバトーに行わせることによってリスクも明確に暗示した上で、短絡的な行動に陥らない少佐たちの正義感を表現していると思います。複雑な社会系の中で正義を執行する少佐たちに相応しい演出だと感じます。

しかも1コマ目から4コマ目の少佐の反応により「バトー」のキャラクターが立つ演出にもなっています。1コマ目、2コマ目と少佐はバトーの行動に少佐は「驚き」の演技を浮かべています。これは「バトー」の行動が少佐にとって「意外」なものであることを示しているのでしょう。しかし何が意外だったのでしょうか? 4コマ目のやりとりからもわかるように「捜査する」という判断自体は二人の共通認識であります。よって指示すること自体は少佐の意外ではありません。ではなにが「意外」だったのか? それは「バトーが少佐の指示を奪った」ことでしょう。これはつまり人員投入という強制捜査を行う指示を副官のバトーがすることにより、責任追及段階において「副官の独自判断」としてバトーを切り捨てて組織を存在させる余地を残す好意です。よってバトーの「組織存続のため」の行動が少佐にとっては意外だったのだとおもいます。

14ページの説明でも記載しましたが、「少佐」は「強者」という演出が行われています。(そして「バトー」は「弱者」)「強者」としての「少佐」にとって「疑いがあるなら捜査する」ということは至極当然です。そのため「バトー」に奪われるでもなく「少佐」も同様の指示を行っていたことでしょう。しかし「少佐」は「強者」ゆえに「組織解体のリスク」は顧みることはできません。よって「少佐」が判断した場合、マンガ上で「組織解体のリスクがある」ということを表現することができません。(当然、少佐もそのリスクは把握しているが、そのリスクがあることを少佐の判断行動から演出できない)ただ「弱者」の「バトー」では話が変わります。施設の少年にも共感を抱く「バトー」であれば、「組織の存続を考える」ことは自然に表現することができます。よってこの場面では「少佐」の代わりに「バトー」に判断させることによって「組織解体のリスクを踏まえた上での判断であること」を表現しつつ、その行動をとった「バトー」に対して少佐が驚くことで、「強者としての少佐と弱者としてのバトー」という対比構造を生み出してそれぞれのキャラクターを立たせている演出になっているのだと思います。「バトー」は「おかあさん」のようですね。

さらに言えば4コマ目公安職員が上を向いているのもニクい演出です。ここでの「少佐」と「バトー」のやりとりは「責任追及時の回避方法に関する密談」です。ここで公安職員は「上を向いている」のは、「考えごとをしている」という演技ではなく、二人の密談を「みないふり」をしている演技だと思います。この公安職員の顔(みないふり)を入れることによって、「公安に伝わったらまずい密談を考えてみれば公安の前で行う」と言うことの不自然さが消え、また「現場には現場の倫理がある」と鉄則的な共通認識を少佐たちも公安も弁えていることが表現されていると思います。コマの隅に書かれている小さな顔ですが、なかなか意味合いを持ったニクい演出だと思います。

そして少佐たちは施設に人員投入して、ほとんど強制的(組織解体につながるリスクのある)捜査に乗り出していきます。

その操作の結末は? それはまた次ページ以降で語られます。

 

以上です。

Co.二郎さんの【さよならエレジー】(サビ)が頭の中でリピートされています。


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ではまた次回。