Idiot's Delight

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マンガ『攻殻機動隊』感想 SUPER SPARTAN (11) 14ページ

今日もお仕事です。

デンタルフロスサプリメントなどの買い足しをいつも忘れます。

さて今回はマンガ『攻殻機動隊』の感想の続きを書いていこうと思います。

前回はこちら。

akutade-29.hatenablog.com

 

※以降ネタバレを含みますのでご注意ください

 

今回は14ページ目から。13ページで明かされた「学習コース」の実態。その実態を受けて少佐たちはどのように反応するのでしょうか?

 

14ページ

1コマ目 通信切断を示すスノーノイズ

2コマ目 モニターに乗り出すように見つけている少佐 横にはバトーが立っている。

バトー 「はン」

3コマ目 公安職員を叩きつける少佐

4コマ目 「学習装置」だったことを責める少佐とそんな少佐を制止するバトー

少佐 「ありゃただの学習装置だ!ふざけやがって一体どーー」

バトー 「待て」

5コマ目 非常ベルが鳴り響く施設

6コマ目 非常ベルが鳴っていることを指摘するバトーと気にかけない少佐

バトー 「非常ベルだ」

少佐 「だから何だ」

7コマ目 気になることを告げるバトー

バトー 「気になる」

バトー 「切れる一瞬前「捕まったら何もかも終わって楽になる」・・・って感じしなかったか?」

8コマ目 何かに気づく少佐(憮然とした表情)」

 

13ページまでに描写された少年たちへの反応は3コマ目、4コマ目に表れています。端的に書くと「怒る」です。このコマでは「洗脳装置がなかった」ことに少佐は怒っていますが、それは同時に「少年たちの実情」を知っても意に介さないことを示しています。つまり少佐(主人公なので“本作の倫理観の象徴”と言い換えてもいいでしょう)は「施設のスパルタ」を否定しません。ここはその他ヒーローものと本作を隔絶する大きなポイントだと思います。ヒーローものの根底には「弱者救済」の倫理観があると思います。「困っている人、弱い人」は「助けるべき」という考え方です。しかし本作のヒーローである少佐は「怒ります」。それは「洗脳装置」がなかったことに対する怒りですが、子供たち(弱者)にも向いているようにも受け取れます。「弱者であれば厳しくされてもしょうがない」と叱っているようでもあります。ヒーローが弱者救済の倫理観を有しないという点において、2話タイトル「SUPER SPARTAN」を冠するにふさわしいヒーローとも言えますし、その他ヒーローの(ある意味で)「甘い」倫理観も蹴散らすようなヒーロー像だと感じました。

しかし14ページではこのような「鬼軍曹(強者)」としての少佐だけではなく、それに対称的な存在として描かれる人物がいます。それがみんな大好き「バトー」です。「バトー」は怒りを露わにする少佐を制止し気付きを与えます。これについて「直情的な少佐」と「冷静沈着なバトー」の対称とも見えますが、2話以降に見られる「バトー」の描写は「冷静沈着」というイメージはあまりありません。(どちらかと言えば「人情的な人物」として描写されていると思います)ではどのような対称性が潜んでいるのでしょうか? それは私が考えるに「弱者に共感できる」バトーだと思います。4コマ目で少佐は怒りを露わにします。ここにタイムラグなしでバトーが制止している点において、冷静沈着な論理的思考ゆえの気付きではなく、少佐と同様に「直情的」な行動に駆られた結果だと思います。しかしその「直情」は少佐の「怒り」ではなく、「弱者への共感」に向けられたものだと思います。つまり強者すぎて気付けなかった「少佐」と、「弱者」に寄り添うことが出来たので気付きを得られた「バトー」が対称的に描写されているのがこのページだと思います。ここで描かれる「バトー」のイメージは「元いじめられっ子の格闘家」ですね。「鬼軍曹」の少佐と「元いじめられっ子」のバトーという対称性をもって、それぞれのキャラクターを際立たせつつ、「弱者救済では動かない」というとんでもない倫理観を表現しているのがこの13ページだと思います。

 

以上、14ページ目の感想でした。では少佐たちはどのような倫理観で行動するのでしょうか? それはまた次ページ以降で語られます。(直後ではなく少し先です)

 

今回はここまで。

今日は思い出せました(買い足しの件)

それではまた次回。