Idiot's Delight

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雑記 仕事の「真面目さ」や「やりがい」は無理ゲー

今日もお仕事です。

仕事場で新人教育をしています。

さて今回は新人教育もしていることですので、「仕事の価値」について考えてみようと思います。

 

新年度につき新社会人が流入する季節となりました。何やら「退職代行」が話題になっているそうな。私は見たテレビの情報番組でも取り上げられてました。その番組の出演者の意見を掻い摘んで並べると以下のようなものになります。

司会(キャスター)「人それぞれ、時代ですかねぇ…」

コメンテーターA「けしからんですよ!採用にそれだけ手間暇コストが掛かっていると思っているんだ!それでも止めるというならせめて自分で持ってこい!」

コメンテーターB「コストとか知らんやんけ。いようが止めようがこっち(退職者)の勝手やろがい!」

興味深いのは「司会(キャスター)」の態度です。「コメンテーターA」や「コメンテーターB」の発言は「番組を盛り上げるために極端な意見」になっていると思います。しかし「司会」の中立を保とうとする態度には「本音ではコメンテーターAに賛同したいが、表立って発言することは憚れる」という心情が見て取れます。ひと昔前なら、「仕事を即退社する新入社員」は糾弾されるべき対象と認知されていたように思われますが、現状では「表立って糾弾することが出来ない」対象に変化しているようです。この変化は何を表しているのでしょうか?(コンプライアンスや炎上防止などと考えられますが、であればなぜ「けしからん」は炎上してしまうのか?)

私が考えるにこの変化は「仕事の価値が相対的の低下している」ことを示しているのではないでしょうか。

例えば報酬の話。一億総中流と呼ばれる時代において「一世帯で一人」が働けば、「子供を養えて家や車まで買える」が普通だった時代がありました。しかし現在では「一億総活躍」と呼ばれる時代になり「一世帯で労働年齢に達している人員全て」が労働に従事しないと家計を支えるのが困難な時代となっています。ここに報酬面での仕事価値の相対的低下が見られます。(給料の金額は上がっている、そのままかもしれませんが、その給料で代替可能な事物が減少している)

また「成果主義の導入」。これらの導入により「成果を出す」ことに注力し生産性など向上しているかもしれません。しかしその分「真面目に働く」ということの価値は低下していると思います。(「真面目」だけじゃ意味がない)

これらの点に見られるように「普通の人が真面目に働く」が価値を持たなくなってきているのだと思います。(「成果を出せる人」の仕事の価値は向上・維持する)このような変化があるため、全員一括りにして「けしからん!」などと仕事価値を均一に敷衍させる観念や言動は「無理」があるのでしょう。(なので司会は表立って言えない)

という時代の変化がありテレビ番組の司会も「なんとなく気付いている」状態ではあるものの、実際の仕事現場では「真面目に働くべき」「仕事にやりがいを求めるべき」という観念での運用が保守されています。これらの観念が形成された時代から、背景の変化が著しく「真面目に働く」「やりがいをもつ」が困難になっていますが、企業制度がその変化に追いついていない(成果主義で成り上がることができた人=観念を変える必要がない人が意思決定権を有しているため、そもそも制度疲労に気づいていない)ために、そのコンフリクトが「退職代行」のような事象に現れているように感じられました。「真面目さ」や「やりがい」を求めて「成長目標」などを設定するように求めるような行為もそれに当たると思います。

ではどうすれば良いのか?

「宗教」的な解決方法が一番手っ取り早く感じます。しかし「宗教の力が(ニーチェ以降)落ち込んでいる」ことと「単一の教義への信仰を求める行為」が現在の社会で主流になりつつある「新自由主義」(リベラル)と相性が良くないために、「普及する推進力」を得られないでしょう。

「真面目さ」や「生きがい」を「長期的なサイクルではなく短期的なサイクルに落とし込んで運用すること」(UberEatsの配達員のように)は可能性を感じさせますが、既存企業形態に反映させるには(いろいろな意味合いにおいて)時間がかかりそうです。

「真面目さ」「生きがい」という概念を排除して仕事の価値運用ができないものかとも考えますが、(すでに時代遅れの我が身からは)現実での運用可能レベル(新入社員に教えられるレベル)のアイデアはなく、現実への追従を常識とすることでしか落とし所が見当たりません。(個人レベルでは違いますが)せめて(自覚的にしろ無自覚的にしろ)苦痛に共感することは、これからの「新人教育」の教育者は外すべきではないと思いながら、指導しています。

 

今回はここまで。

こんなこと考えながら内心「グギギ」で指導してます。

それではまた次回。