Idiot's Delight

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雑記「東京大学は重課金しないと手が届かない?」ニュースについて思うこと

今日もお仕事です。

今回は東京大学の卒業生を調査したら、50%近くが世帯収入1000万以上だったというニュースについて思うことを書いていこうと思います。

東京大学は「重課金しないと手が届かない大学」か データから見えた結論 (2024年2月11日掲載) - ライブドアニュースnews.livedoor.com

 

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(著:マイケル・サンデルさん 早川書房)という本があります。

「運も実力のうち」という言葉はありますが、この本はその逆で「実力も運のうち」です。

このタイトルにも表れているようにメリトクラシー(実力主義)社会で標榜していた「機会の平等」に対して、それが(現在では)欺瞞となっている点について言及されています。

この本には以下のような記述があります。

アイビーリーグの学生の三分のニあまりが、所得規模で上位二〇%の家庭の出身

アメリカで起きた出来事は5〜10年後に日本でも起きるとよく言われますが、今回のニュースもその例に漏れずといったところでしょうか。

 

最近Twitterでとある精神科医の方が患者の人に対して「資本主義は機会の平等を保障するもので、結果の平等を保障するものではない」というような内容を語ったというネット記事を目にしたことがありますが、今回のニュースは“資本主義は「機会の平等」を保障するものではなかった”ことの証左と言えるかもしれません。

前時代的な階級よりは流動生があるものの、資本主義においては格差が機会の平等を妨げているのでしょう。

 

この格差は資本主義に含まれたバグのようなものかもしれません。

 

このような社会の大きな流れはトラルファマドール星人に時間の本質を教えてもらっていない我々にはいかんともしがたいところです。(トラルファマドール星人については『スローターハウス5』という小説を読みましょう)

社会の大きな流れに逆らえない私たち個人において、せめて出来ることは資本主義的価値観を疑うことくらいでしょうか。高学歴や高収入がよいという価値観ですね。今後の社会を、このような価値観で生きていくことは、どんどんしんどくなっていくようにも思われます。このニュースはそのような潮目が訪れていることを告げているのかもしれません。

 

スローターハウス5』の主人公ビリー・ピルグリムは自分の墓標に以下の文章を書きたいと望みます。

EVERYTHING WAS BEAUTIFUL,

AND NOTHING HURT.

トラルファマドール星人との邂逅を果たすことができない我々が、このような心持ちに至るためには、どうやら資本主義では不十分のようだなとこのニュースより感じました。

しかしながら資本主義の恩恵を浴している私たちにとって、そこからの脱却は中々の困難が予想されるので難しいところですね。

 

とりとめのない記事になってしまいましたが、それもまたご愛嬌ということでご勘弁を。

 

今回はここまで。

それではまた次回。