今日は仕事です。
今回は最近読み終わった『味付けはせんでええんです』(著:土井義晴 ミシマ社)について書いていこうと思います。
土井義晴さんの本は『一汁一菜でよいという提案』という本に続いて、二冊目です。普段の食事は一汁一菜(具沢山の味噌汁の漬物)でより、それ以上は”ご馳走”で実は過剰なものなんだ。『一汁一菜でよいという提案』では、この思想を根底に、それでもそこに”豊かさ”があると気づける。そんな本でした。今作はその延長線上。
「味付けはせんでええ」いうのは、「食べられるようにすればいい」という和食文化の根底にある「なにもしないしないことを最善とする」思想です。
(「あとがき」より)
「一汁一菜」を飛び越えて、もう「味付けもしなくてよい」と来るのは驚きです。料理とはつまるところ「味付け」ではないのか? しかし土井さんはそれを否定します。「おいしさ」を求める味付けとは、つまるところ自分だけの主観に寄ったものだと。「料理」とはそんなものに束縛されない、もっと”豊かなもの”だと。
資本主義、新自由主義、そんな社会に生きる私たちは知らず知らずのうちに「過剰」に取り囲まれています。
しかしこの「過剰」は人類の歴史上、おとずれたことのない未曾有の事態。数十万年とも言われる人類の歴史の中で、これほどの過剰に囲まれている環境は、おそらくは100年に満たないでしょう。それゆえ私たちの脳は、本能は、遺伝子は、この「過剰」にうまく付き合えるようにはできていないのです。
そんな人類にとって新参の「過剰」に対して、古くからの親友である「料理」から、乗り切るためのコツを探ろうとするのが本作ではないかと思います。
「足るを知る」。土井さんに通底するのはそんな思想だと思います。「もっとお金がほしい」「もっといい暮らしがしたい」「もっと自由でありたい」など、現代の過剰性に囲まれつつも私たちは「さらに」を求めてしまいがちです。
しかし「今でも十分に豊かです」、「今でもちょっと過剰です」、そんな思わずどきりとしてしまうことを、柔らかくも自由闊達とした文章で丁寧に説明してくれています。現代の追い立てられるような気風に疲れた方や、違和感を覚える方にはおすすめです。
もし未読であれば『一汁一菜でよいという提案』から読まれた方が、より理解しやすくなると思いますので、ぜひ。
それではまた次回。