Idiot's Delight

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雑記「モナリザスープかけ事件」で思うこと

本日も仕事です。

今回はフランスで起きた「モナリザスープかけ事件」について。

www3.nhk.or.jp

環境活動家が美術館で名画「モナリザ」にスープをかけるという過激な行動を行ったというニュースです。

こういうニュースの場合、「良い」「悪い」というところに議論が偏ってしまい、一面的になってしまうように思います。なのでまずそこはおいといて、「メリット」「デメリット」というところから考えてみたいと思います。

 

まず「メリット」で言えば「世界の耳目を集められる」ということでしょう。フランスでただ単にデモ活動していても、世界的なニュースにはならないので、自分たちの主張を広く伝えたいと考えるなら、これは大きなメリットです。

では「デメリット」とは何か。それは「自分たちの主張が正しく伝わらない」ということでしょう。今回のニュースを見聞きして「環境を大事にしなくちゃいけない」と考える人は稀だと思います。むしろその過激さからくる嫌悪感が、その主張にも紐づいて「環境とか考えるやつはやばいやつだなあ」と解釈されるリスクの方が大きいのではないでしょうか。

この過激さが、思想と一致しているならまだしも、今回のように思想と一致していないとリスクの方が大きくなりますね。「食物不足を訴えながら、食糧(スープ)を無駄にする」とか、「環境問題を訴えて、人類の存続を望みながら、人類の歴史には敬意を払わない」など、今回の事例では思想と行動が一致していないように見受けられます。

 

ではなぜこのような行為を行ったかというと、直接の理由で言えば注目を集めたかったからなのでしょうが、本当の原因は別のところにあると思います。

本当の原因は(意識的にしろ、無意識的にしろ)自分たちの主張が面白くないと分かっていたから、ではないでしょうか。

面白くない自分で、どうにか注目を集めたいから過激なことをする。そのように考えると過激系YouTuberの方々とやっていることは同じなのではないかと思われます。SNSなどにより、注目が可視化する現代において、如何に注目を集めるかが優先されてしまい、本来の目的から逸脱してしまう、そのようなバイアスも働いているのかもしれませんね。

 

もしくは「環境などを考える高尚な私がこんな馬鹿げたことをするくらい、環境はやばいんだ!」という主張が込められていたのかもしれませんが、このような行動を行った人たちがどういう人たちなのかという前提が共有されていないので、「やばい人がやばいことをやっている」という解釈に収束してしまうでしょう。

 

結論としていえば、「環境問題などを主張して理解を求めたい」が目的なら主張に嫌悪感を付着させてしまった点で戦術ミスといえるでしょう。注目を集めたかった、というだけが目的であれば大成功、そんな風に考えられるのではないでしょうか。少なくとも彼らの主張はモナリザにスープをかける以上に面白いということはなさそうです。

 

人に物事を伝えるのは難しいですね。

 

本日はここまで。

それではまた次回。

 

追記

とここまで書いて公開してから気づいたのですが、「過去(権威)は攻撃対象にしてもよい」という共通認識が生まれつつある可能性もあるかなと思いました。

傷つくことも、傷つけられることも、過度に恐怖する現代において攻撃対象が「過去」にむいているのかもしれないなと、そういう風にも考えます。

老害」という言葉があります。現代のところはパーソナルな悪口かもしれませんが、これが以降パブリックな認識へと変化するかもしれません。(そうなったとき、老害と呼ばれるのは今の若者だと考えると、巡り合わせは面白いなと思わざるを得ませんね)

 

以上、追記でした。

それではまた次回。