今日も仕事です。
今回は「NY警備ロボが5ヶ月で引退」というニュースで思ったことについて書いていこうと思います。
NY地下鉄の警備ロボ、5か月強で引退 - ライブドアニュースnews.livedoor.com
引退理由は主に「充電が大変」「(階層跨ぐ上下の)運搬が大変」ということらしいです。
これは福祉業界での介護ロボ活用が普及しないのと同じような理由ですね。
ロボット推進事業関係者が語る、「介護ロボット」が普及しない理由:コストだけが問題ではない(1/3 ページ) - ITmedia ビジネスオンラインwww.itmedia.co.jp
ロボットという言葉の語源は、作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『ロッサム・ユニバーサル・ロボット会社(R.U.R)』に登場する人造人間の名称に由来するらしいです。この人造人間はチェコ語で労働を意味する「robota」と名付けられました。
この時代の想像力では、産業革命後ということもあり、肉体的な労働を代替する機械が敷衍した結果としてロボットが生み出されたようにも思います。つまり「人間がロボットをこき使う」みたいな未来を想像していたのでしょう。
しかし生産工場の一部など、動作を規定しやすいものであれば、現段階でも有効なのでしょうが警備や福祉などの動作が多岐にわたるものは、まだまだロボットによる自動化は難しいみたいです。
昨今におけるAIの進化などを鑑みるに、このような肉体労働より、政治、経営やマネジメントなどのいわゆる知的労働でのロボット(機械による自動化)参入の方が早く訪れそうだなと思います。
つまりは戯曲「R.U.R」の時代で想像していた「人間がロボットをこき使う」という未来ではなく、「ロボット(AI)が人間をこき使う」という、真のrobotaとは人間だったんだみたいなどんでん返しが、今後の人生に待ち構えているかもしれないと考えるとぞくりしたものを感じますね。
しかし案外そのほうが上手くいくかもと思ったり。メリットは圧倒的安価であることと、ビッグデータを用いた判断の精度向上、そして大量の判断と発注をこなすことができるいうところでしょうか。デメリットはおそらくAIの判断を人間が理解できないことからくる嫌悪感ですかね。合理的に考えるとメリットの方が大きい気がします。
今回はここまで
それではまた次回。