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映画『ナイトメア・アリー』感想 時代の流れに逆らえない私たちの宿命

本日も休日です。

今回は最近、Prime見放題に追加された「ナイトメア・アリー」(ギルレモ・デル・トロ監督作品)という映画について書きたいと思います。

www.20thcenturystudios.jp

 

※以降、ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

この映画の大筋は「主人公スタンが読心術(の手品)のスキルを得て、成り上がり、取り返しのつかないミスをして全てを失う」という勧善懲悪的な、もしくは盛者必衰的な物語として解釈することもできます。ただ私はそれだけではないように感じました。

ラストシーン(カーニバルの見せ物として働くことを突きつけられるシーン)でスタンは以下のセリフを発します。

それが宿命です。

自身の過ちゆえに受け入れるのであれば、「宿命」という表現は若干違和感を覚えます(「罪」とか「罰」などの表現になるのではないでしょうか)。なぜスタンは「宿命」という言葉を使ったのでしょうか?

これを解釈するには、劇中でも繰り返し登場する「アルコール」と「幽霊ショー」の二点を補助線として有効ではないかと思います。

 

まず「アルコール」について。劇中の時代設定は1939〜1941年、ルーズベルト大統領の時代です。この時代でアルコール関連の問題といえば禁酒法でしょう。

ja.wikipedia.org

この禁酒法の発達に関してwikipediaには以下のように記述されています。

1840年代に始まった禁酒法の運動は、敬虔キリスト教の宗派、特にメソジストがその先鋒を務めた。

主人公スタンもアルコールに関しては「決して(Never)」飲まないとたびたびセリフとして発しています。

 

次に「幽霊ショー」について。実は幽霊ショーとは、単なる見せ物ではなく宗教に関連するものでした。

この本でも語られているのですが、産業革命後、合理的な「科学」が普及すると、宗教の影響力は徐々に失われていきました。(ニーチェの「神は死んだ!」)その宗教が科学でも解明できない領域として見出したのが「心霊」という分野であり、この本はその解明に乗り出した科学者たちの歴史を追ったものです。この時、科学者たちが研究対象に含めたのが地方で興行されていた「心霊ショー」でした。

 

このような背景を踏まえると「アルコール」も「幽霊ショー」も、宗教に関連するモチーフであることがわかります。そしてスタンは「幽霊ショーというイカサマで金儲けしようとする」「決して飲まないと決めていたアルコールを飲む」という二点で反宗教的な行動をとっていたことになるでしょう。

 

ではこの反宗教的な行動をとってしまった理由とは? スタンは劇中「アルコールは決して飲まない」という意思を表示していました。アルコールが反宗教的なモチーフとして考えられるなら、「決して飲まない」というスタンは敬虔な信者だったと考えざるを得ないでしょう。そんな敬虔な信者であるスタンがなぜ反宗教的な行動をとってしまったのか?

この点に本作は「抗えない時代の流れ」を表現したのではないかと私は解釈しました。

 

本作の冒頭でスタンは父親と実家を燃やします。そしてスタンが父親を憎んでいたということは映画でも語られるのですが、なぜ憎んでいたのか? については語られません。

おそらくスタンが父親を憎んでいたのは、戦争による世代間の分断が原因ではないでしょうか。

戦争を行うということは若者を大量に徴兵することにつながります。この若者に戦争で戦うための教育を行うと、戦争が終わって故郷に戻った若者は、もう故郷の価値観を受け入れられなくなってしまうとのことです。それは戦争という最先端の教育を受けると、故郷の価値観が古めかしく感じてしまうからだそうです。このようにして世代間の分断が発生します。

スタンが父親を憎んでいた理由を語らないことで、暗に上記のような時代の影響を訴えているのではないでしょうか。

 

また興行師として成り上がったスタンが、金儲けに走った理由としては資本主義における共同原理に染まってしまったからだと解釈することができるでしょう。なにか新しいことをしなくては生き残れない、成長なくしては生き残れない。そんな観念に支配されてしまったスタンは道徳を無視して、幽霊ショーによるイカサマで金をとっていく行動を選択してしまった。そんなふうに考えられるのではないでしょうか?

 

上記からスタンが「宿命」という言葉を用いたのは「抗えない時代の流れで、(個人では)どうしようもなく、そういう選択をしてしまった」からであり、そこで辛苦の表情を浮かべるのは「敬虔な信者であり、そういうことをしてはだめだと知っていたから(知っていたのにやってしまった)悔恨」からではないでしょうか。

そして「前の時代の価値観を信用できない」という点と「競争原理に苛まれている」という点で現代性を感じます。(「老害」とか、「だめだとわかっているけど、成績あげるのにやってしまう」とか)

 

スタンがラストシーンで浮かべたような悔恨に苛まれないように生きたいものですね。

 

本日はここまで。

それではまた次回。