本日は仕事でした。
今回は前回に引き続き『ダイヤモンドの功罪』というマンガについて書いていきたいと思います。前回ではその魅力として、その斬新な構造について触れました。今回は他に魅力的だと感じている「巧みなドラマ構成」という部分に触れてみたいと思います。
前回の記事はこちらです。
※以下ネタバレを含みますのでご注意ください。
前回の記事でも書きましたが、本作は「成功→チーム内不和」という斬新な構造で、主人公:綾瀬川の規格外な天才性を表している作品だと思います。
前回は構造のお話をメインにしたかったので触れなかったのですが、この作品の魅力的な部分として、「チーム内不和」の描き方、つまりはドラマの描き方が非常に巧みな点にもあると思います。
その巧みさは人間の認知、特に「共感」について、リアルに描かれている点を根本としているところにあるのではないでしょうか。
人間の共感に関する実験
人間の共感に関して『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(著:橘玲さん 幻冬舎文庫)という本に興味深い実験が紹介されています。それは幼い子供を被験者に、サリーとアンの指人形を使った実験です。
実験は以下のような流れで行われます。
(1)最初にサリーが登場し、カゴにおはじきを入れて舞台を去る。
(2)次にアンが登場し、おはじきを箱に移し替えて、舞台を去る。
(3)再度、サリーが舞台に戻ってくる。
(4)上記(3)までの流れを見せたあとで被験者である子供たちに、「サリーはおはじきを探しています。どこを探すでしょうか?」と質問する。
この(4)の質問に対して、3歳までの子供は「箱の中」を見ると回答するようです。そして4歳を超えると「カゴの中を探す」とわかるようになる。この結果に対して本では以下のように紹介されています。
自分たちの知識(おはじきは箱のなかにある)と、サリーのこころの状態(おはじきはカゴのなかにあると思っている)を区別できるようになるのだ。
(中略)
乳児は泣いている隣の乳児を慰めようと共感するが、その子の気持ち(なぜ泣いているのか)を理解しているわけではない。
(『スピリチュアルズ「わたし」の謎』PART6 共感力より引用)
つまり相手の気持ちを慮る「共感力」と相手の立場を理解する能力は別ということです。本ではこの能力を「共感力」と分けるために「メンタライジング」と紹介していました。そして「共感力」は乳児にもある生来的なものですが、「メンタライジング」は後天的に獲得していく能力であることをこの実験は示していると思います。
『ダイヤモンドの功罪』は小学生の話です。つまり「共感力」はあるが、「メンタライジング」は獲得しきっていない年代の子供達の話です。
いや〜この年代… 中途半端に損得勘定できるのがなんとな〜くイヤですね〜 それ自体よりそれが透けて見えちゃってるのが…
(『ダイヤモンドの功罪』第11話 関根トレーナーのセリフ)
この前提を踏まえて『ダイヤモンドの功罪』で描かれているドラマを見ると、非常に巧みに描かれているなと感じます。
具体例として次項より「子供たちのドラマ」から書いていきたいと思います。
子供たちのドラマ「知らない」×「知らない」
『ダイヤモンドの功罪』では綾瀬川を中心とした小学生たちのドラマが描かれます。このドラマは前述の人間の認知(共感力とメンタライジングは別、メンタライジングは後天的に獲得)を踏まえたリアルなものになっていると思うのです。
例として日本代表チームが練習試合で戦った枚方ベアーズ戦で描かれた綾瀬川と桃吾のドラマについて書いていきます。(第11話〜第12話)
枚方ベアーズで初登板となった綾瀬川は、初試合とは思えないピッチングで年上の枚方ベアーズを圧倒します。しかし枚方ベアーズのベンチで選手が怒られている姿を目にした綾瀬川は、キャッチャーの桃吾に「一本か二本くらい打たせてあげようよ」と相談を持ちかけます。しかしこれを聞いた桃吾は綾瀬川に「お前はカスや」と怒ります。
このシーンに関して、両者の共感(感情をかさねている内容)とメンタライジング(相手の立場の理解)そしてそこからくる結論について整理して記載すると以下のような形になると思います。
- 共感:怒られている。勝ち負けも大切だけど楽しいも大切。
- メンタライジング:ここは日本代表で勝ち負けが重要。でも怒られていたら楽しくなれない。
- 結論:負けはしないけど、相手が怒られないように何本か打たせてあげよう(妥協の提案)
桃吾
上記のように「共感」は読者もそれぞれ納得することができる内容から始まり、小学生ゆえの未熟さで「メンタライジング」では綾瀬川は自分の経験則でしか相手の立場を考えることができず、また桃吾も理解不能の綾瀬川の立場は考えることができません。結果として衝突が生まれます。
このように読者から見ればどちらも納得できる「共感」があり、前項でも書いた実験にも即したリアルさ=普遍性で展開された結果、「どちらの言い分もわかる」「心がちぎれそうになる」ドラマ(衝突、不和)が生まれている。それが「ダイヤモンドの功罪」におけるドラマの魅力だと思います。
今回はほんの一場面の例示しかできませんでしたが、他のドラマもとても良いです。
例えば同じ試合で桃吾の幼馴染の円がベンチで応援し始めた時に、桃吾がぼろぼろと涙を流します。この涙はどういう涙なのか? また真木はその円の応援を聞いてショックを受け球場裏で壁に手をついてしまいます。真木はなににショックを受けていたのか? などなど。
いろいろ解釈できるのが楽しいですね。
今回はここまです。次回は今回は触れることができなかった「大人のドラマ」について書いていきたいと思います。
それではまた次回。