今日もお仕事です。
今回は前回に引き続き、『タイタンの妖女』の感想について書いていきたいと思います。
前回の記事は以下をご参照ください。
※以降ネタバレを含みますので、ご注意ください。
前回はあらゆる価値観から解放されたタイタンで語られるエピローグのうち、「クロノの選択」について書きました。
今回は「ビーの言葉」から書きます。
マラカイの妻ビーはタイタンで、ひたすら回顧録を書き続けます。それは一つの部屋に溢れるほどです。
マラカイはビーと離れて生活します。ただビーがマラカイが必要になったとき、岸辺に白い旗を立ててマラカイを呼びます。
そしてビーはマラカイに対して以下のセリフを発します。
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」
人間関係の基準を利用価値に置くこと。これは意外にも、純粋な人間関係のカタチと言えるのではないでしょうか。
利用価値という言葉は、私たちにとって功利(自分の利益だけを求めるさま)的に見えてしまいます。
「お金」などを基準に考えると、ひどく利己的にも感じられるでしょう。
しかしビーがこの言葉を発したのは、あらゆる価値観から解放されたタイタンです。そのことを考えるなら、この言葉の響きも変わってくるのではないでしょうか。
タイタンでは、「お金が欲しい」などの利己的な価値観から解放されています。そして同時に「愛」などの利他的な価値観からも解放されています。
「愛しているから」「血縁関係があるから」などの人間関係に「愛」を基準とする行為は、美しくもあります。しかし同時に悲劇に続く道でもあることは、各種ドラマなどでも語られる通りでしょう。
利己的な価値観に踊らされることなく、また利他的な価値観に埋没することなく、純粋に人間関係を見つめ直すと、そこには利用価値しか残らないのではないでしょうか。
上記のセリフに続いてビーは以下のセリフを発します。
「わたしを利用してくれてありがとう」と彼女はコンスタントにいった。「たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」
他者の中に利用価値を見出す行為。タイタンでのその行為は純粋で、美しささえ感じられます。
「お金のため」と、嫌な上司や客と付き合うこと。「血縁関係があるから」と、親族関連の問題を背負い込むこと。現代においても人間関係の問題は山ほどあります。
その時、「利用価値」で、その関係を考え直すことは、ひとつの解決策になるかもしれません。
今回はここまで。
それではまた次回。