今日もお仕事です。
今回は『勇気爆発バーンブレイバーン』5話感想について書いていこうと思います。
※以降、ネタバレを含みますのでご注意ください。
最初に書きますが、5話は面白くないと感じました。見所も殆どありません。なので少しでも面白さを感じられる解釈を考えてみました。
『勇気爆発バーンブレイバーン』全体の構造は、「非力で凡庸な現実と強力で出鱈目な虚構との対比」ではないかと解釈しています。
自衛隊などのシリアスな軍隊が、立ち向かうことが出来なかった敵性存在に対して、強力かつ出鱈目なブレイバーンが対峙する、このような構造に現実と虚構の対比が生まれていると感じます。
※以降、以下の作品のネタバレを含みますので、ご注意ください。
『レディ・プレイヤー1』(2018 映画)
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2020 劇場アニメ)
『街とその不確かな壁』(2023 小説)
『君たちはどう生きるか』(2023 劇場アニメ)
「現実と虚構の対比構造」は、その他のコンテンツ内でも描かれております。近頃の作品で言えば『レディ・プレイヤー1』(映画)、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(アニメ)、『街とその不確かな壁』(小説)、『君たちはどう生きるか』(アニメ)などです。
これらの作品群は共通して「虚構からの現実回帰」が作内で描かれます。しかしそれぞれの作品における現実への回帰理由(現実に対する価値判断)は異なります。非常にざっくりと書いてしまうと以下の通りです。
レディ→虚構もいいけど、現実もね
シンエヴァ→虚構から卒業して現実を進もう!
不確かな→居心地の良い虚構から現実に戻らなくてはいけない
君たち→虚構は素晴らしいが、汚れているのでそれを引き受けることができない。現実(家族)のもとへ帰る
これらの作品に共通しているのは(解釈は異なるものの)「虚構は良い」という価値判断だと思います。
しかし「勇気爆発バーンブレイバーン」に関しては、これらの作品と異なり、(現時点では)「虚構は良い」という価値判断は行われていません。むしろ「虚構はくだらない」という価値判断がなされているようにも見受けられます。
「ブレイバーン」は作品内では、(現時点では)強力であるものの、自己顕示欲が強く、基本的に話の通じない異物的存在として描かれております。この「ブレイバーン」を虚構の象徴と考えるなら、この作品において「虚構は良い」という価値判断は行われていないと考えられるのではないでしょうか。つまり本作で「虚構」とは、上記の作品群と異なり、「強力だが出鱈目でくだらないもの」としているように感じられます。
5話では、日本に向かう艦隊を場面としたドラマが繰り広げられます。しかし「甲板でボクシングリングを用意して試合する」、「ブレイバーンのオタク部屋が艦内に設置される」など現実離れした描写があります。
この描写を現実と虚構の対比構造から捉えると、虚構に侵食された現実を表しているようにも見て取れます。
よって5話全体の面白くなさは、このようにくだらない虚構に現実が侵食されていることを演出しているのかもしれません。
本作ではまだ現実と虚構それぞれの価値判断は最終的には行われておりませんが、上記のように考えると、今後に対して消極的な期待を寄せることも可能かもしれません。
ここまで読んでいただいた方は、おそらく「無理がある」と思われるでしょう。私もそう思います。そもそもコンテンツビジネスである以上、面白さは前提でなければいけないとも思います。
1話の衝撃の慣性が失われた今段階において、本作に淡い期待を寄せるなら、という無理な考察をしたのが本記事です。
今回はここまで
それではまた次回。