Idiot's Delight

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アニメ『勇気爆発バーンブレイバーン』最終回感想 「勇気」とは?

今日はお休みです。

宝ヶ池ではじめてボートに乗りました。なかなか楽しかったです。

さて今回は『勇気爆発バーンブレイバーン』最終回の感想を書いていこうと思います。

 

※以降ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

ロボットアニメの勃興

「ロボットアニメ」(ジャンル)の勃興は1970年代初期とされています。ロボットアニメの勃興には以下の時代背景に関連があると考えています。

  1. 第二次ベビーブーム(1971年〜1974年)※「団塊ジュニア」と呼ばれる世代
  2. 高度経済成長期(1955年〜1973年)
  3. 大阪万博(1970年)※「人類の進歩と調和」がテーマ

(1)「第二次ベビーブーム」で増加する「子供層」に玩具を売りたいという市場欲求があり、それに応える形で数々のロボットアニメが生み出されました。しかしこれだけでは「なぜロボットなのか?」の解答にはなり得ません。その疑問に対する解答は(2)および(3)に関連しているものと思われます。

(2)高度経済成長期(3)大阪万博ともに「科学」が民衆まで普及した事象と言えるでしょう。(2)高度経済成長期において日本国民の生活水準は劇的に向上し、「白物家電」や「三種の神器(電化製品)」などの科学の産物により恩恵を浴することが特権的行為ではなくなっていきました。また(3)大阪万博では「人類の進歩と調和」をテーマに世界各国の新技術が結集して未来世界を作り上げました。このように1970年代は「科学によって生活が向上」し「科学によって未来は明るい」という「科学信仰」が民衆に根付いた時代とも言えるかもしれません。そして私はこの「科学信仰(未来への希望)」と「市場欲求」が結実したイメージが「ロボットアニメ」だと考えています。

(なぜ日本なのかに関する考察は以下の記事参照)

akutade-29.hatenablog.com

 

本作におけるロボット

本作には大きくわけて二種類のロボットが登場します。

まずはイサミたちの軍が運用するTS(ティタノストライドです。こちらは兵器として運用しており、飽くまで「道具」「乗り物」「機械」とした「ロボット」です。科学の粋は集結されたものであることは伺えますが、そこに前述のような「科学信仰(未来への希望)」は込められていません。

もう一種類は「ブレイバーン」をはじめとするファンタジックなロボットたちです。こちらは一見すると「科学信仰(未来への希望)」から結実したイメージとも見えますが、ブレイバーンの正体が「スミス」であることを考えると、また異なる存在であることがわかります。「スミス」は(もちろん)「科学の象徴」ではありません。「友」や「仲間」を象徴する存在でしょう。ブレイバーンはロボットのように見えますが、その正体は「スミス」であり、「友」「仲間」です。このように考えると本作の「ブレイバーン」は「ロボットアニメ」というフォーマットによって、「ロボット」を仮託しているだけであり、その実は「ワンピース」などにみられる「仲間主義(現状維持)」の象徴とされる存在になっているように思います。

 

ロボットの没落 未来への悲観 「勇気」とは?

ロボットアニメ勃興時と本作における「ロボット」が象徴するものは「科学信仰(未来への希望)」から「仲間主義(現状維持)」へと没落しています。もう私たちは「科学」が(そしてその他のなにものも)「未来をよくする」とは信じられない地平に立っています。本作に見られるような「ロボット」の没落は、「よりよい未来をつくりあげていく活力」が失われているとメタ的に解釈することができるかもしれません。そして本作の勇気とは、「過去にロボットアニメが持っていたよりよい未来への活力を取り戻す」ことだと言えるかもしれません。(メタ的に、好意的に解釈すれば)

 

最終回自体の感想

では最終回は面白かったのか? 「ううん、ちっとも面白くなかった」美味しんぼ 第4話風)


www.youtube.com

 

以上、勇気爆発バーンブレイバーン 最終回の感想でした。

 

今回はここまで。

春になってまた新たなアニメが始まります。期待です。

それではまた次回。